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【ポップ吉村の伝説】世界のオートバイを変えた「神の手」。ポップ吉村、巨大メーカーに挑戦する
こんにちは。
しもやん(@shimoyan0101)です。
このブログでは書籍
『ポップ吉村の伝説 世界のオートバイを変えた「神の手」』を
ギュッとまとめて紹介しています。
ポップ吉村の伝説 世界のオートバイを変えた「神の手」
著者 富樫ヨーコ
企業秘密など存在しなかったのである。
ポップ吉村の伝説
世界のオートバイを変えた「神の手」
ざっくりまとめました。
技術は隠すものではない
チューニングについて
記事を書いてみないかと持ちかけたのである。
「ああ、いいですよ」と
吉村は二つ返事でこの案を承諾した。
吉村にとって
自分が取得した
チューニングの技術というのは
隠すべきものではなかった。
一人でも多くのユーザーに
一人でも多くのユーザーが
自分の記事をヒントに
マシンを優れたものに改造して
レースを楽しんでくれたら、
レースのレベルアップや
モーターサイクルスポーツの促進する。
技術を隠して自分一人だけのものとし、
自分だけが優勢を見せつけるという考えは
はなから
吉村の頭の中にはなかった。
吉村のチューニングしたマシン
日本グランプリを観戦に来ていた。
本田宗一郎(HONDA創業者)
の目に止まったのである。
研究所が直接走らせているマシンより
吉村のチューンした
CB72の方が速いことに驚いた。
それが吉村のチューニングしたマシンだと
分かると本田は一度、研究所で馬力を
計らせてもらうよう頼めと言った。
ヨシムラ・チューンのCB72は
ストレートで圧倒的に速かったので
根っからの技術屋だった本田としても
エンジンの中身を知りたかったのだろう。
目の上のたんこぶ
感心してばかりいれない者もいた。
研究所の上層部の人間は
本田宗一郎に
こっぴどく𠮟られたのである。
この時から研究所の中には
吉村のことを
目の上のたんこぶのように思う者が出てきた。
このため吉村が
必要なパーツを頼んでも、
それまでのようにスムーズな対応が
取れなくなったのである。
1983年の8耐
1983年の8耐に関してヨシムラは
ヨシムラ・モリワキのマシンを投入した。
吉村秀雄が森脇護の製作した
フレームを使用することにした。
七海子は
夫・森脇のフレームを
父・吉村秀雄が
採用するということは
森脇が認めてもらったということだと、
とても喜んだのである。
ヨシムラ・モリワキ 親子合作マシン
ヨシムラ・モリワキの合作車GSX1000
83年型ヨシムラGSXは
モリワキフレームに
ヨシムラチューンのエンジン
を積む親子合作車。
まとめ
私たちのように戦争を経験していない
世代には分からない過酷な体験、
それを乗り越えてきた。
吉村さんの執念と情熱は、
レースの世界で「子供たち」に
受け継がれている。
少しでも
興味を持ってもらえれば嬉しいです(^^)
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